皇室・天皇家の謎と秘密!子作り事情や皇族費は?

今日はちょっと趣向を変えて、皇室・天皇家の謎と秘密!子作り事情や皇族費は?についてです。
皇族といえば、最近、秋篠宮家の長女の眞子さまと小室圭さんが婚約したというおめでたいニュースが報道されましたね。

特に秋篠宮家のプリンセスの人気はすごいですね。


意外と皇族・天皇家について、けっこう知ってるようで知らないですよね。
皇族・天皇家の謎や秘密について色々と書きたいと思います。




天皇家の3つの謎

1.天皇家の始まりの謎
初代天皇は神武天皇と言われています。

古事記や日本書紀に記載されている伝説上の人物とも言われています。
しかし、宮内庁の天皇系図にも初代天皇としてしっかり掲載されております。
天皇系図
伝説上の人物がなぜ?と思いますが、宮内庁の天皇系図に載っているということは、実在の天皇と認められているということになりますね。

神武天皇は天皇在位期間がの異常に長く、昭和天皇の63年を上回る75年も在位していたことになっております。
また、崩御した年齢が127歳とかなりの長寿・・・このあたりがちょっと・・・謎?という感じでしょうか?
これは神武天皇の生誕をBC660年と決めてしまったので、そこに辻褄を合わせると16代の仁徳天皇あたりまでの年齢を調整するしかなかった・・・という感じみたいです。
ほとんどの天皇の崩御された年齢100歳以上・・・ということになっています。

この時代の天皇の寿命も謎ですね。

実際は、何人か記載されていない天皇がいたり、女性の天皇がいたりしたのではないか?という気もしますね。

また、神武天皇の六代前は天照大神・・・神様です。
天照大神の生まれ方も神話的な話で、天照大神が生んだもしくは創ったとされる子供からは普通に妻との間に子供を設けているということになっており、そこから五代目が神武天皇です。

ここで、神武天皇のについて色々と書いているとそれだけで終わってしまいますので、初代の天皇は神武天皇としておきましょう。

2.天皇家が今まで継続できた謎
これは世界で類を見ないことで、天皇家が初代から数えて125代続く国家は日本だけです。
なぜこんなに長く続いているのでしょうか?
この謎について紐解いてみます。

確かに、日本は天皇家だけでなく、長寿企業が世界で一番多い国です。
世界58カ国で見ても長寿企業総数が7212社あり、その内の半分以上の3937社が日本企業です。
なんと、2位のドイツの1850の倍以上です。

なぜなのでしょうか?

これは、諸説あるとは思いますが、まず、日本は島国であるということ。
ヨーロッパのように陸続きにより国家間の人やモノの移動が簡単ではなかった。
また、島国のため、外からの移民が少なく、鎖国の時代もあり他国との交流が少なかった。
つまり、侵略されたり等の歴史が少なく、自国の文化により成長してきた国だと言えるのではないでしょうか。

天皇家が続いている理由として、日本に長寿企業が集中していることと、地理的・歴史的背景との関連性があるように思います。

もちろんそれだけではありませんが、過去に何度かは天皇制度がなくなり、天皇家の存続が危ぶまれる時があったと思います。

明治維新の際、士農工商の身分制度が撤廃されました。
この時、なぜ天皇制度は撤廃されなかったのでしょうか?
この辺りも謎ですね・・・

一つは倒幕をし、天皇制度ありきで事が進んでいた・・・ということもあると思いますが、すべての身分を廃止すべきだとは考えなかった人達がいます。

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という『学問のすゝめ』を書いた福沢諭吉です。
今の一万円札の肖像画ですから知らない人はいませんね。

福沢諭吉は身分制度に反発していました。
『福翁自伝』には「門閥制度は親の敵(かたき)でござる」という下りがあります。
その理由は、諭吉の父親にあります。
諭吉の父親は学問の成績が優秀であったにも関わらず、武士として身分が低かったため、その能力を活かす仕事に就けなかったそうです。
その光景を目の当たりにした当時の諭吉は、能力を無視した身分制度というものに強く反発していました。

しかし、だからといって、すべての身分を廃止すべきだという方向には向かいませんでした。
福沢諭吉に限らず、日本の近代化を推進した多くの人たちも同じ考えだったようです。
古き良き時代という言葉にあるように、良かったことと能力を無視した身分制度を分けて考えていました。

諭吉は、皇室の存在意義を書いた「帝室論」・「尊皇論」という論文を書いています。
この内容は、日本には天皇と皇室が絶対必要だということを述べています。

特に諭吉は「西洋事情」という書物を書き、多くの人に影響を与え、身分制度にも反対という立場でした。
しかし、日本独自の文化を消滅させてはならない、皇室が率先して日本独自の古来から伝わる文化を守るべきだ、という立場でもありました。

西洋文明の紹介者である当の諭吉が、逆にそれら古い文化の保存を主張していたということになります。
国家の独立を維持し、日本が西洋列強の植民地にされないためにも、国民の自尊自立と皇室の存在が不可欠だと考えていたようです。

次に第二次世界大戦時に天皇家にピンチが訪れます。
敗戦により、GHQが日本を統治することになりました。
GHQは天皇の処刑する方向で考えていたのです。

しかし、結果としてあたらに交付された日本国憲法の条文の
第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
にあるように、象徴天皇として存続することになりました。

敗戦国の王朝が滅びなかった戦後最大の謎ですね。

マッカーサーと昭和天皇の会談では、昭和天皇が
「私は、国民が戦争遂行にあたって行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためお訪ねした。」
と発言しました。

更に公にはされていませんが、
「戦争の責任は自分にある。日本にはただ一人の戦犯もいない。自分はいかなる刑に処されても応ずる覚悟がある。しかし、国民が住む家もなく、着る服もなく、食べるものがない状態は心配で仕方ないので、国民達の衣食住の点のみに閣下のご高配を賜りたい・・・」
といった内容の発言をされたようです。

これに対してマッカーサーは
「私は大きい感動にゆすぶられた。死をともなうほどの責任、それも私の知り尽している諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまでもゆり動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じとったのである。」
と昭和天皇に対して尊敬の念を抱いていると思われる文面を残しています。

マッカーサーは、昭和天皇が命乞いをすると思っていました。
第一次世界大戦時に敗戦国のドイツを訪れた際、のヴィルヘルム2世は
「戦争は国民が勝手にやったこと、自分には責任がないので自分の命は助けてほしい。」
と発言されたようです。
この発言と同じような状況を想定していたマッカーサーは、この天皇の発言には衝撃を受けたようです。

しかし、このやり取りに関して、昭和天皇は一切他言しておらず、実際どうであったかは謎です。
マッカーサーとの約束で、一切他言しないという約束を守りぬかれました。

ただ、米国としては、日本を統治するにあたり、天皇を残しておいた方がやりやすい・・・という思惑もあったようですが、常に国民の為、全責任は自分である、という姿勢がマッカーサーの心を動かしたのは事実だと思います。

ヨーロッパ等の他の国々の歴史を見ると、王朝は敗戦を切り抜けることができませんでした。
もし昭和天皇のようなお考えを持ち合わせていたとしたら、滅んだ王朝の歴史も変わっていたかもしれませんね。

天皇のお仕事は「国民と国家の平和の安寧を祈る」ことと、「作物の豊作を祈る」ことだそうです。

『天皇陛下の全仕事』によると、天皇陛下は元旦の午前5時半には宮中三殿に並ぶ神嘉殿(しんかでん)の前庭にお出ましになる。
庭中央の、屋根だけの東屋風の簡素な建物には清潔な青畳が敷かれ、陛下はそこで皇室の祖先神が祭られている伊勢神宮に遥拝し、国の安泰と国民の幸福、農作物の豊作などを祈り四方拝を行われる。
元旦の東京の日の出は午前6時50分頃、したがって周りは暗く、厳しい寒さの中での厳粛な祈りである。

新聞でもテレビでもあまり報道されていないので、多くの方は知らないようですが、天皇陛下はこのような古代の祭祀を非常に大切になさっておられます。
自らを慎み古式の装束での祭祀は年間30回を超えるそうです。
それを忙しい「公務」の間に手抜きもなさらず、とり行っておられます。

国民のため、国家のため、国民が飢えない為に祈られている天皇陛下に感謝の念を抱かずにはいられません。

天皇家が今まで継続できた謎がわかったような気がしますが、それより、存続していただかなればならない、と感じました。

3.天皇の財産の謎
いろいろな噂話がありますが、その中でも天皇が持っていたとされる金融資産の謎です。
第二次世界大戦時前の天皇の資産は天文学的数字と言われており、今でもその資産は海外等で運用され、政府の資金にもなっている?といった都市伝説的な話もあります。
霞が関埋蔵金と言われる資金は天皇の資産の金利であるとか、今でも噂が絶えない「M資金」とか・・・

以前、糸井重里氏がライフワークのように取り組んでいた「徳川埋蔵金」みたいな話ではありますが、戦時下の天皇の資産はかなりのものであったというのは事実のようです。
その資産は当時の四大財閥の全てを合わせても天皇の資産の方が上だったようです。
この資産を戦後、GHQが凍結しました。
宮内庁がGHQに申告した額は、土地建物と有価証券を合わせて約16億円弱・・・

ただ、実際はもっと多かったようで、その後倍以上の約37億円に上方修正されたようです。
当時の日本の国家予算が200億円とのことですので、その5分の1近くが天皇の財産だったということになります。

この金額からGHQは90%というありえない税金をかけ、33億円ほど国庫に帰属されたようです。
今の貨幣価値に換算すると2〜3兆円・・・もっとでしょうか。

とは言っても、GHQに没収されることがわかっていたので、すでに海外に資金移動していたという噂もありますが、実際どうであったかはこれも謎のままです。
それが埋蔵金とかM資金とか言われる元になっておりますが、都市伝説的な話ですのでなんとも言えませんね。

現在の収入、財産については後述の「皇族の皇室費は?」で触れたいと思います。



皇室の秘密

皇室の秘密に関しては、いろいろな噂がありますが、どれも噂の域を出ていません。

次の「天皇家・皇室の子作り事情」にも少し記載しましたが、山川三千子という方が書いた「女官 明治宮中出仕の記」には、当時のことが赤裸々に語ってあります。

この本が出版された昭和35年当時は、明治時代を知る方も多く存命し、知る術がなかった皇室の秘密が明らかになったことに衝撃を受けたようです。

近年はネットの普及により、皇族の私生活が色々と報道されたり、ネットに書き込まれたりと、秘密にすることの方が難しい状況になってきました。

人間誰しも、一つや二つの秘密は持っているでしょうし、その秘密を口外されたくはないでしょう。

皇室や天皇家の秘密ついてあれこれ詮索するより、秘密のままにしておいた方がいいように感じるのは私だけでしょうか。

天皇家・皇室の子作り事情

今上天皇の親、昭和天皇から法律により一夫一婦制になりましたが、明治時代以前はそうではありませんでした。
もともとは昔から、跡取りのために側室を設けることは歴史上ご存知だと思いいますが、皇族においても明治時代までは側室がいました。
当時の側室は典侍(ないしのすけ ※1女御の位に相当)、権典侍(ごんないしのすけ ※2更衣の位に相当)と呼ばれていました。

※1 女御(にょうご にょご)
天皇の寝所に侍した女性。
皇后・中宮の下、更衣の上の格。
多くは摂関など名家の子女から選ばれる。

※2 更衣(かうい)
天皇の寝所に仕える女官の一つ。
「女御(にようご)」の下に位し、ふつう五位、まれに四位。
納言(なごん)以下の家柄の女子から選ばれる。

大正天皇は、明治天皇と権典侍の柳原愛子との間に生まれた三男です。
なぜ、三男の大正天皇が皇位継承されたかというと、長男、次男が夭逝してしまったからです。


明治天皇には、当時6名の側室(典侍・権典侍)がおり、子供は15人授かったものの、そのうち10人が夭逝してしまうという不幸に見舞われました。
三男の大正天皇以外は、六女、七女、八女、九女の女子以外全てが2歳以下で亡くなっています。

側室については、明治31年の民法改正にて一夫一婦制になりましたので、大正天皇以降は側室を持たなかった、と言われておりますが、現在の皇室典範にも記載がなく、側室は禁じられていないようです。

ただ、大正天皇は貞明皇后との仲が良く、男子が4人生まれたということもあり、側室を設けませんでした。
とは言っても、明治天皇に仕えていた女官に好意を持っていた・・・?という話もあります。


(これは、当時はタブーとされていた皇室の内容を、昭和35年に明治天皇に仕えていた山川三千子という方が書いた「女官 明治宮中出仕の記」に記載されております。)

昭和天皇も香淳皇后との間に7人の子供を設けましたが、第1子から4人続けて内親王(女子)が生まれ、男子を授かるために側室を持つことを勧められたとのことです。

しかし、昭和天皇はこれを拒否。
結果、昭和8年に今上天皇が生まれ、更に2年後には常陸宮正仁親王殿下が生まれました。

今上天皇は美智子皇后との間に現在の皇太子殿下と秋篠宮文仁親王殿下、更に、現在は既にご結婚された元紀宮内親王と3人の子供を設けられました。

現在の皇太子殿下には皇太子妃雅子様との間に愛子内親王がいらっしゃいますが、女子一人のため、皇位継承問題で議論されてます。

秋篠宮家には上記でも記載した、婚約発表間近の眞子内親王、可愛いと評判の佳子内親王、そして現在の皇位継承順位3位の悠仁内親王がいらっしゃいます。

歴史上、女性天皇は存在したのですが、女系天皇、つまり母のみが皇統(天皇家の血筋を引いている)という天皇は存在しません。
現在の流れでわかりやすく説明すると、愛子内親王が仮に天皇陛下になられたとして、その後結婚し、子供ができた場合は女系天皇になります。
秋篠宮家に悠仁親王がおられますが、将来妃を娶り子供ができた場合は男系天皇になります。
要は父親側が皇統である場合を男系天皇といいます。

現在は、側室等を持つことに対して、皇室典範に記載がなく禁止されていなくても、社会的風土からそのような選択をすることは難しいですね。

そう考えると、現在の皇太子妃はかなりのプレッシャーだったと思われます。

皇太子殿下と雅子さまは1998年頃から不妊治療を受け始めたようです。
雅子さまは一度流産を経験されてから、愛子内親王が出産されましたが、男子でなかったことから、世継ぎに関するプレッシャーからは解放されなかったようです。
第二子の期待が高まり、当時の宮内庁長官も「もう一人ほしい・・・」といった発言をされたようですが、それが雅子さまを追い詰めていったようです。

側室がいた時代でさえ、思うようにならなかった歴史があるように、今後もこの問題は簡単には解決しなそうですね。



皇室の皇族費は?

皇室の皇族費は年間どのくらいかかっているのでしょうか?
皇室の費用を大別すると、皇族費と宮内庁費の2つに分けられます。

【皇族費】3つに分かれています。
1.内廷費・・・天皇・内廷にある皇族の日常の費用その他内廷諸費に充てるもので、法律により定額が定められ、平成29年度は3億2,400万円です。
※こちらに該当するのは、天皇陛下・皇后陛下・皇太子殿下・雅子様・愛子様

2.皇族費・・・皇族としての品位保持の資に充てるためのもので,各宮家の皇族に対し年額により支出されます。
皇族費の基礎となる定額は法律により定められ,平成29年度の皇族費の総額は,2億1,472万円です。
なお,皇族費には,皇族が初めて独立の生計を営む際に一時金として支出されるものと皇族がその身分を離れる際に一時金として支出されるものもあります。
※こちらに該当するのは、秋篠宮家・常陸宮家・三笠宮家・高円宮家
皇族費の各宮家別内訳(平成29年度)
3.宮廷費・・・儀式,国賓・公賓等の接遇,行幸啓,外国ご訪問など皇室の公的ご活動等に必要な経費,皇室用財産の管理に必要な経費,皇居等の施設の整備に必要な経費などで,平成29年度は,56億7,892万円です。

1の内廷費は天皇陛下の家族だけで32,400万円で、2の皇族費は4家族の合計で21,472万円・・・
これだけ見ると天皇家が飛び抜けて多いように感じますが、実際の公務の量も人件費も違うので、単純に比較ができません。

額についても多いとか少ないとか議論があるようですが、天皇陛下の仕事の量からすると安すぎる!という意見もあります。
実際は内廷費のかなりの額が人件費のようで、実収入は1億円を切ると言われております。
また、自由に使えるお金は500万円程度だそうです。
天皇の仕事は年間700以上ものあり、この仕事量からすると安すぎる!ということになるかもしれません。

宮内庁ホームページの「天皇皇后両陛下のご日程」を見るとそのご公務の多さがよくわかります。
年間の休日は100日を切ると言われております。
天皇皇后両陛下のご日程
こちらをご覧になれば、天皇の仕事がいかに多いかよくわかります。

【宮内庁費】宮内庁の運営のための必要な人件費・事務費などの費用です。
平成29年度は、112億1,761万円です。
皇居の修繕や改修等、電気代から車代等、様々な用途に使われているようです。
確かに皇居の維持費はかなりかかりそうですね。

ということで、皇室・天皇家の謎と秘密!子作り事情や皇族費は?についてでした。

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